感想『子どもたちは夜と遊ぶ|辻村深月』

感想『子どもたちは夜と遊ぶ|辻村深月』

こんにちは。

最近少々忙しくしていたせいか、読書ペースが落ちております。

仕事やらアドセンス申請やら資格やら、合間時間も使ってしまっていたのがいけなかったですね。

とりあえず資格に合格したので、その時間分は読書時間として取り戻せそうです!

積読本はあまりないけど、また沢山読もうと思います!

 

さて、今回はミステリー小説です。

今回読んだ本は、『子どもたちは夜と遊ぶ|辻村深月』です。

 

イメージと違った!良い意味で!

辻村深月さんと言えば「かがみの孤城」で本屋大賞をとったり、2019年映画ドラえもんの脚本を手がけたりと押しも押されもせぬ人気作家さんですね。

本作は2005年に出たものです。

 

辻村深月さんは「いつ出した本か」というのが大事なポイントになるようです。

なぜなら、結婚・出産(?)を機に作風ががらっと変わったから。

伝えたい相手が変わったのでしょうね…!!

 

私自身、辻村深月さんと聞くと「優しい作品を書く人」っていうイメージがありました。

なんと言っても、あのドラえもんを書くぐらいの方ですから。

 

しかし今回読んだ「子どもたちは夜と遊ぶ」は、そのイメージとはかけ離れたものがありました。

「初っ端からドライバーで目を……恐ろしや…」ってなりながら読みはじめました。笑

そう、この作品は劇場型の連続殺人事件が起きる恐ろしい話なのです!

イメージと真逆!

とは思いましたが、すっっごく面白かった!

本当に良い意味で裏切られました。

あらすじ

舞台は東京にあるとある大学。

私のイメージは、中野とか、そっちの方にある有名大学です。(私は東大イメージだと思うな)

中心となる人物は3人。

孤塚孝太、木村浅葱、月子。

簡単にどんな人物か紹介しましょう。

 

孝太:温厚で勤勉。まさに「よくできた人間」

浅葱:天才イケメン。孝太と同じゼミ

 

孝太と浅葱は工学部系の同じゼミで、二人だけ大学の他の生徒レベルが一つ違う優秀者。

 

月子:教育学部。自分の価値観を持った芯のある人間。

孝太の2つ下で孝太を追いかけ上京。

一緒に住むつもりが孝太は友人の恭司とルームシェアしちゃっていたので残念。

 

こんな感じですかね。

ちなみに恭司は孝太と学校で知り合った親友のような存在で、孝太、月子をとても大切に思っています。

ただ、チャラい?し暴力的だし死にたいが口癖のワルい子です。

 

そんなある時、5つの大学合同で海外留学生の座をかけた論文コンクールが行われ、孝太と浅葱はこれに参加。

誰もがこの二人のどちらかがトップを取ると考えていました。

しかし結果は「最優秀賞該当者なし」

なぜなら、「i」と名乗る者が匿名で論文を出しており、それが飛び抜けて良かったから。

(匿名だから表彰できないという事で、該当者無しになります)

 

この事件以降、大学では「i」の存在が都市伝説となります。

それでも「i」の存在が分からないまま2年が過ぎます。

2年が過ぎたある日、なんと「i」と「θ」を名乗る二人による「世間への復讐」とした連続殺人が行われる。

というお話。

絶妙な立ち位置にある登場人物たちのお話

まずはじめに、本書の冒頭でわかるので一つネタバレします。

「θ」は浅葱です。

この物語は「iは誰なのか」「iに振り回されて犯罪を犯す浅葱の心」「身の回りの人間が殺される孝太たち」の3つがポイントになります。

 

「θ」こと浅葱は幼い頃母親に虐待されていました。

そこで自分を守ってくれていた双子の兄「

浅葱はiの事を母親の死で離別した兄の藍だと思い込んでこの事件を起こしてしまいます。

それだけ浅葱にとって藍は生きる為に必要不可欠な心の支えなのです。

 

一方「i」はハッカーです。

浅葱が論文の一見で「i」の存在を探っているという事を知り、iは浅葱のPCをクラッキング(いわゆるハッキング)して浅葱が隠している過去を全て知っていたのです。

そのうえで自分が「藍」であると名乗り出ました。

感想

ミステリーとして驚きポイントが3つもある!

上下巻合わせて約1000ページもある作品なだけあって、仕掛けは3重。

一つでも驚きなのに3重なんてそりゃあもう驚きは隠せません!

読み応えがすごくある作品でした。

悲愴にはじまり、悲劇が起こり、悲恋で終わる

悲恋と言いましたが、恋愛だけではありません。

兄への想いだったり、友への想いだったり。

悲恋というより、「悲愛」ですかね。

そういったものが残ります。

 

この物語は登場人物は大きく二分されます。

持つ者と持たざる者って言うのかな。

持たざる者に救いなんて滅多にないんですよね。

もしあっても孤独の闇に覆われていては、伸ばされた手ですらも見えなくなるのです。

これはそんな悲しいお話でした。

全体の感想

まず一言で言います。

とても面白かった。

うん、これに尽きる。

とはいえ長ったらしい感想を書いていくのがブログでありますので、頑張りますよー。笑

 

悲しいなと思った点は、読者が愛する登場人物が亡くなる点。

殺されて、それでおしまい。

物語の悲愴感を強める為にここまでしなくても!ってなる。

うん、つまりしてやられた。

 

でも、悲しいだけでは終わらない点は安心。

苦しんだ末に救いのない存在って、それほど出てこないんです。

最後にはどこか救いがある。それが読後感を少しだけ優しいものにしてくれました。

簡単な考察(ネタバレは極力ひかえます)

3つのメタファー

この物語では、持つ者持たざる者を表す3つのお話が出てきました。

蝶と蜂、盲目の天使と犯罪者、蝿やアブラムシと蝶やトンボ

この3つは持つもの持たざる者を分けると共に、3つのテーマがあります。

それは、幸福救い淘汰です。

幸福には孝太・月子、救いには恭司、淘汰には浅葱が当てはまると私は考えています。

浅葱と恭司は少しの違いで、決定的な違いによって大きく違っていってしまいます。

「ここで何故恭司が出てくるのか」については、実際に読んで知ってくださいね。

 

「幸福は掴めないのかもしれない。でも救われたかもしれない。」

なのに救われる事のなかった浅葱。

これがこの物語の悲劇たる部分だなと思いました。

タイトルについて

「子どもたちは夜と遊ぶ」これが何を意味しているのか分解してみました。

子どもたち:登場人物の学生全員

夜:孤独(の闇)

遊ぶ:孤独からくる悲しい行動

この物語の登場人物はみんなが孤独を抱えていて、それでもなんとか生きているんです。

(ここから結構ネタバレになります。嫌な人はここまで!)

 

さて、主人公達に目を向けます。

名前です。

孝太と月子。太陽と月です。

恭司は孝太の存在によって日の出を迎えます。

そして浅葱は夜闇の中。真っ暗な中をさまようしかないのです。

でも、本当は夜の空には月が燦然と輝いているのです。

孝太と月子は正しさ・幸福をもたらす象徴。

 

何が不幸で何が救いなのか。

子ども達は夜と遊ぶ。この物語にぴったりなタイトルでした。