こんにちは。
今回は名作中の名作です!
日本人なら誰もが知っているであろう、『人間失格 | 太宰治』です。
太宰治さんの代表作の一角ですね。
話は逸れるのですが名作って意識していないとついつい後回しになってしまいませんか?
「いつでも読めるから…」なんて言って、何年も読まずにいるとかあるあるじゃないかなと思ってます。
私がこの本を手にとったのは、「精神的に疲れていたから」
普通元気になる本をとるべきなんでしょうが、私はむしろとことん憂鬱に沈んでみるのも良いのではないかと思ったのです。
そもそも元気になる事自体が苦痛だったので。
メランコリックを楽しむのもまた人生ですね。すごい矛盾した言葉。笑
そんなこんなで思いついた憂鬱な作品が『人間失格』だった訳です。狙い通り楽しめました。
概要
さて、タイトルは知っている方は多いと思うのですが、背景をおおざっぱにでも知っておくともっと面白いです。
本作は著者の「遺言」とも言われている作品です。
その理由は二つあります。
一つの理由は太宰治が完結させた最後の作品だったから。
その後『グッド・バイ』という作品を執筆していたのですが、その途中で命を落としまい絶筆となってしまっています。
(このグッド・バイをモチーフに伊坂幸太郎さんがバイバイ・ブラックバードを書いてるよ!面白いよ!)
二つ目の理由は、太宰治自身を投影した作品であると考えられているから。
作中での出来事(心中や薬物依存)や、自ら道化となる事で傷つく事を避ける主人公の性格だったり、そういう点が太宰治自身の人間性を表していると考えられているんですね。
だから作中での独白は著者自身の気持ちを遺したものだとされるのです。
そんな訳で、この作品は太宰治という文豪の人生をも映し出しているような作品です。
あらすじ
あらすじをまとめる為、時系列に沿ってまとめます。
また、ストーリー全体をまとめたものなので、完全なネタバレです。
それでもこの本の感想を語るには、作品を知っていないと何も伝わらないと思ったのでここで説明したいなと思った次第です。
もしそれでも「ネタバレは嫌だ!感想だけを聞かせろ!」という方がいらっしゃいましたら、目次から感想に飛んでもらえたらなと思います。
はしがき&あとがき
物書きである「私」は以前何度か行ったバーのマダムと10年ぶりの再開をし、そこで「何か、小説の材料になるかも知れませんわ」と三葉の写真と三つの手記を渡されます。
マダムが言う「葉ちゃん」を直接は知らないけれど、その写真に奇怪さを感じ、興味を持った「私」はそれを預かり手記を読んでみる事に。
その手記はこんな文章で始まり、その男の生涯が書かれています。
恥の多い生涯を送って来ました。
というお話です。
手記の冒頭「恥の多い生涯を送って来ました」はあまりにも有名なフレーズですよね。
第一の手記 ~幼少期~
自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の観念とが、まるで食いちがっているような不安、自分はその不安のために夜々、転輾し、呻吟し、発狂しかけた事さえあります。
ここからは主人公『葉蔵』の話です。
葉蔵は議員の家に生まれた、いわゆる格式高い家の末っ子。
葉蔵は喜怒哀楽が希薄で、ただ自分ひとりが変わっているように感じ、不安と恐怖をずっと抱えて生きています。
『人間』が理解できない。だから怖い。
人間を極度に恐れていながらも人間をどうしても思い切れないという葉蔵は、、自ら「道化」となる事を考えつきます。
それが、葉蔵にとって人間と繋がる唯一の方法だったのです。
家族には口答えせず、道化となり、いつも下手くそな笑顔を浮かべる。
例え女中や下男に犯されるような事があっても。
それが葉蔵の在り方となります。
第二の手記 ~青年期~
弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我をするんです。
幸福に傷つけられる事もあるんです。
葉蔵は中学になって、みんなを笑わせる人気者になっていた。でもそんなある時、竹一(白痴に似た生徒と記されている)に「ワザ。ワザ」と言われます。
つまり、「わざと道化を演じている」と見破られてしまった。この一件以降、葉蔵はより一層自分の本質を見られる事を恐れてしまいます。
道化を演じている事をバラされたくない葉蔵は竹一と仲良くなり、監視するようになります。
そこで絵の練習をしたりと、後に影響のある経験もします。
さらにその後、葉蔵は旧制高等学校に入学。
この頃から自分の恐怖を紛らわす為堀木という悪友を作り、酒と煙草と女に明け暮れます(典型的なダメ男だね!)。
そして悪友絡みで左翼思想の集団に仲間入りする。本人はそんな強い思想なんて無いのに、(人への恐怖から)断れない性格が評判になり、責任ある立場にまで昇ってしまう。
そんなこんなで環境の急激な変化、そしてお金もなくなってしまい全てから逃げたくなった葉蔵。
その結果、夫を持つ女性と心中未遂事件を起こし自分だけ生き残り、自殺幇助罪(起訴猶予)に問われます。
※ちなみに別の作品『道化の華』に登場する葉蔵は、この事件から第三の手記の間にあたると思われます。
第三の手記 ~その後~
第三の手記”一”
罪に問われたので高校は放校(退学)。
葉蔵は身元引受人の元で暮らしていたが、ある日その男に将来について問われ、そのまま流れで家出をします。
そこでイケメンダメ男の本領を発揮した葉蔵は、子持ちの女性やバーのマダム(手記の持ち主)の家に住まわせてもらい過ごす事に。
その過程で葉蔵は「世間とは個人じゃないか」という考えを持つようになります。
ここは私の解釈ですが、皆「世間」なんて言うけど、結局「自分」の考えを世間一般の考えだと勝手に言ってるだけなんだ、という気持ちですね。
そんな価値観を持つようになった葉蔵は、以前ほど周りに怯えずに振る舞うようになります。
そこにある日、酒浸りする葉蔵を咎める女性が現れる。
ヨシちゃんと呼ばれる十七、八の女の子。
人を疑う事を知らない純粋な彼女に惹かれ、やがて結婚をし、葉蔵はひと時の幸せを得ます。
ちなみにこれだけの出来事で認識ぶれるけど、葉蔵はおっさんじゃないですからね!
第三の手記”二”
せっかく「人間らしく」生きられそうだった葉蔵に、酷い事件が起こります。
人を疑わない純真無垢な妻が出入りの商人に騙され強姦にあいます。
葉蔵は「信頼は罪なりや」と、信じる事すらも罪なのかと酷く絶望し、再び多くの苦しみを抱える事になります。
また酒浸りするようになった葉蔵はある日、大量の睡眠薬が隠されているのを見つける。
それは妻が自殺をする為に買ったものだと気付きつつ、葉蔵はそれを使い自殺未遂を犯す。
それも幸か不幸か助かってしまう葉蔵はさらに酒に浸り、やがて体を悪くし喀血(作中では喀血=結核)します。
そこで向かった薬屋で出会った女性にモルヒネを処方される。
酒ですら節制できない葉蔵は勿論(?)モルヒネ依存になり、お金を使い切って薬屋の女性と関係を持ってまでモルヒネを使い続ける事になります。
もう自分の身の上がどうにもならない所まできたと限界を感じた葉蔵は、全ての事情を書いた手紙を実家に送り、お金の無心をします。
これがきっかけで葉蔵は堀木と身元引受人の男によって、病院へ連れていかれる。
葉蔵は結核患者が入るサナトリウムへ連れていかれると思っていたが、その行き先は脳病院。
脳病院は今で言う脳の障害や精神病患者を扱う病院です。
つまり、葉蔵はこの時代で言う「狂人」と扱われたのです。
人間、失格。もはや、自分は、完全に、人間でなくなりました。
その後数ヶ月入院生活を送った後、故郷から遠くない村はずれの古い家屋に住まわされます。
それと同時に、議員である父が亡くなったと告げられる。
それによって葉蔵はいよいよ腑抜けたようになります。
最後まであまり多くは語られていなかったのですが、父親はそれだけ大きな存在だったんですね。
自分の胸中から一刻も離れなかったあの懐しくおそろしい存在が、もういない、自分の苦悩の壺がからっぽになったような気がしました。
自分の苦悩の壺がやけに重かったのも、あの父のせいだったのではなかろうかとさえ思われました。まるで、張合いが抜けました。苦悩する能力をさえ失いました。
ここで完全に心が折れてしまった葉蔵は、廃人同然となりました。
いまは自分には、幸福も不幸もありません。ただ、一さいは過ぎて行きます。
自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、たった一つ、真理らしく思われたのは、それだけでした。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
苦悩の末に得られたものは、ただこれだけでした。
自分はことし、二十七になります。白髪がめっきりふえたので、たいていの人から、四十以上に見られます。
最後にこんな言葉を残し、手記は終わる。
感想
長々としたあらすじを書いてしまいました。
読んでくれた方、ありがとうございます。
葉蔵の一生を簡単に一言で言うと、「ダメ男が落ちぶれる話」なんだけど、それだけじゃないという事がわかるかと思います。
自分の不幸は、拒否の能力の無い者の不幸でした。すすめられて拒否すると、相手の心にも自分の心にも、永遠に修繕し得ない白々しいひび割れが出来るような恐怖におびやかされているのでした。
葉蔵の人間を表した一文はまさにこれでしょう。
弱く臆病な人間。
さらに言うと、プライドも高かったんでしょうね。
それらが歪に絡み合って、こんな人間性となっているように思えます。
拒否する能力がないというのはそのまま、決断する能力がない事に繋がります。
それでは何も得る事ができないのは当然の事です。
人間としては最低だと思うんです。
ひどく酒に溺れるのも、流されて自殺未遂するのも、薬物依存になるのも。意思が弱い結果として陥ったのだと思います。
でも、こんな人間の事は全然理解できないはずなのに、そのキャラクタが紡ぐ言葉には何故か共感ばかりしてしまいました。
これは、主人公を通して出た太宰治自身の言葉なんだろうなと、私は思います。
ただ、一さいは過ぎて行きます。
不幸の渦中にあっても普遍的なこの言葉。重く苦しいものでもあり、救いでもあるのかも知れません。
この本の最後、バーのマダムが葉蔵について語ったこんな言葉で「人間失格」は終わります。
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」
自分の居なくなった後に残る言葉がこれなのはとても幸せな事ですね。
でも、そう思われていた事に気付けなかった事もまた、不幸な事です。
苦しんでいても思考を停止させて生き続けている人は数えきれないぐらい居ると思います。
そんな現代でもやはり、この作品は多くの人を惹きつけるのだろうなと思いました。
力強い言葉の真逆。無力感でこそ人を惹きつけている作品だと感じました。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。